3/11記録(ただ記録だけ)

ただ記録だけ。

‎3月11日14時46分。11日は訪問もなく、自宅での作業(提案書作成)となっていた。実はその日、225先物ミニの取引もしており、寄りで買いから入っていた。10275円での買いだった。12時前後に10210あたりまで落ちたのち、14時40分には10270あたりまで戻っていたので、ややほっとしていたときだった。

自宅2階でモニタ上の225の動きを見て、ほっとしているときに、いつもの軽い揺れがやってきた。茨城沖震源の軽い地震は月に何回も起きているので、それだろうと思っていた。225の動きにも影響はなかった。
そろそろおさまるはずなのに、徐々に大きくなっていく。あれ?なんだか横揺れがひどいぞ。と思っているときに、2階の窓から、幼稚園バスが見えてきた。家内たちが幼稚園バスから子供だちを出迎えている。揺れがひどくなるとともに、母親たちが慌て始めた。しかし、子供たちは走り回って何も気づいていない。母親があわてて呼び戻すも聞かない。


そこにいたって、この地震の揺れが異常なことにようやく自分も気づき、モニタをチェックすることなく、慌てて1階まで降り、外に出て、子供たちの確保に走った。出てみると、電柱は揺れ、家々はきしみ、自動車の警報音があちこちから聞こえてくる。向こうの森に目をやるとなんだか、黄色い煙が立ち上っている。すわ火事かと思ったら、花粉が一斉に飛び出していたのだった。母親たちがすでに子供たちを確保して、みんなで座り込んでした。揺れを見て「キャー」と言い、煙のような花粉を見てさらに「キャー」と言っていた。ここは震度6弱だったようだ。


ここで不思議と自分がかるい躁状態にあることを自覚していたが、表情にはあまり出さなかった。母親たちと子供たちの周囲に危険がないことを確認したら、周囲の住宅で誰か困っている人はいないか見るために走ってみた。家々から奥さんたちが窓やドアを開けて出てくる。中には皿が割れたとか言っている人もいたが、とくに助けを必要としている人はいないようだった。そうこうするうちにも、また強い揺れが襲ってきたので、母親と子供たちのところへ戻った。母親たちは一様に不安そうな顔をしているが、幼稚園児のうち、不安な顔をしているのは少数で、多数はいつも通りに元気にへらへら笑っている。とりあえず外にしばらくいることにし、ようやく落ち着いてきた。


ここで株価をモバイルチェックしてみたら、これができた。しかし、株価はずるずると地滑りのように下がっていた。いま思えば、ここで先物も現物も処分しておけばよかったのだが、なぜかそんな悠長なことをしている気分にはなれなかった。先物は引けで決済するようになっていたので、それにまかせた。東電株もここで処分できたはずだが、なぜかしなかった。ここで、車いすの夫婦が近くにいることを思い出し、そちらへ走った。玄関のピンポンを押すが全く反応がない。どうしようか迷っていたら、近くの家から停電の声が。そうか、停電だとピンポンも使えない。


ドアまで行って、引き戸を開けてみたらこれが開く。声をかけながら開けると、無事な夫婦が車椅子で出てきた。安全を確認してまたみんなのところへ戻る。母親たちは顔面蒼白というか不安な気持ちがみな顔に出たままだ。家の中には入れないという。そこで小学生の子供たちがまだ学校にいることにみな気がついた。幼稚園児の子を母親にまかせ、自分は学校へ行った。行くと、校庭に生徒が全員出され、すでに整列していた。その周りを保護者がおおぜい囲んでいる。先生たちは保護者に後ろへ回るよう指示している。壇上では校長がこれから指示をするので整列して待つように行っていた。


なかなかおしゃべりをやめない保護者に校長と先生が一喝を入れ、すこし声がおさまった。校長は、現状把握できていることや気象庁の発表を説明したのち、生徒たちに地域別の列を作るように指示していた。驚いたのは、その地域プラカードはすでにしっかりしたものが作られて準備されていたことだ。有事のマニュアルがしっかりできているようだ。家に帰っても親がまだ帰っていないはずの生徒は寄り分けられて、先生のところへ集約されていた。地域別に並んだ生徒の後ろに該当の保護者が並び、みなでゆっくりと移動する。途中の横断歩道は信号が停電でついていないため、先生と保護者で線を作って、移動する生徒の列を守った。子供に聞くと、同級生たちの中には泣き出したり、「世界の終りだ」とか言ったりして不安になるものと、ただ「ヒーハー」となぜか喜ぶものと二手に分かれていたとのことだった。
その後、家に戻り、防災グッズを出してきて、停電対策を練っていった。近辺の家庭では電気ランタンなど灯りを用意していないひとたちもいたようだ。とりあえずうちにあるものを寄り分けて、余分なものを足りない人に分けられるようにしておいた。結局電気ランタンのみ、近くの車いす夫婦に貸すだけにとどまった。

長々と書いたが、一応記録まで。